「やまねこ」(中島みゆき)に寄せて
どうも(;`Д´)y━~ボクですw
今日の挨拶
気付いている方もいるかと思いますが、毎月1本、みゆきさんと吹奏楽の楽曲を紹介するようにしています。
ハロプロの楽曲はもう少し頻度はありますが、これらは私の音楽の糧になっているといっても過言ではありません。
さて本題。
本日紹介するみゆきさんの楽曲は・・
1986年リリース
みゆきさんの20枚目のシングル。
「やまねこ」
作詞:中島みゆき
作曲:中島みゆき
編曲:船山基紀
歌詞を見てみましょう
しょっぱなから攻めてます
女に生まれたことをここまで悲観しているところから始まります。
日本のジェンダーキャップ指数が非常によろしくないというニュースを見たことがあります。
2024年の今でも、そのギャップは低いまま。
この楽曲が生まれた1986年なんて、もっともっとひどかったのでしょう。
「嵐明けの如月、壁の割れた産室。
生れ落ちて最初に聞いた声は落胆のため息だった」
もうね、エクソシストですか?はたまた、犬神家ですか!みたいなノリですよ。
そんな自分に与えられたのは、他人を傷つける爪だけと。
2番になると目線が変わります。
「為にならぬあばすれ、危険すぎるやまねこ。
一度油断しただけで寂しがって他へ走る薄情な奴」
と、やまねこを相手にする男の目線になります。
ここで問題になるのはAメロの
「傷つけあうのがわかりきっているのに、離れて暮らせない残酷な恋心」というところ。
この目線が、やまねこである女の目線なのか、
はたまた男の目線なのか。
男の目線ならば、やまねこを手なずけるといいながらも、どこかに恋心は持った不器用な男の姿が浮かび上がります。
愛したくても傷つけてしまう女
愛したくても素直に愛を囁けない男
不器用な二人の恋。
そんな感じがします。
やまねこ側の目線は私が20代のころによく感じていた感覚でした。
だから私はモテない。
では願わくばまた明日☆彡
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